【学報127号】

この世と共に生きる神学校

校長  君島洋三郎

 多くの方々の支持・支援を受け、この地にストーン記念館(校舎)を建て直し、再出発することができました。皆さまに心から感謝を申し上げます。
 多くの声はこの野津田に留まれ、農村伝道神学校から土地を取ってしまったらもう農伝ではなくなるのではないか、というものでした。その声に後押しされて、今日の落成感謝礼拝を迎えることができました。
 ストーン先生は農村伝道を生涯の使命として宣教活動をしました。それは土地にかかわって生きることであり、農村で失われていく命を回復するには土地を耕すことによって命に与ることであり、人々を土地から切り離す社会を変えていくことでありました。 日野から野津田に移転したのは1958年ですから、1954年洞爺丸と共に亡くなったストーン先生は野津田の地を見ることがありませんでした。しかし、神学校はストーン宣教師の遺志を継いで、様々な困難を経験しながらも決して土地から離れずに歩み続けてきました。大地を踏んで生きてきたストーン、大地を耕して生きる農民、これを、伝道者養成の基としたいと思います。土地を踏み、土地を耕して命を育てながら、命を大切にする伝道者を養成していくことが私たちの使命です。
 ミカ書の編者は、バビロン捕囚の苦難が現在も続く、しかしまもなく新しい世界が来ると言いました。それは既に芽を出している。「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」(イザヤ43・19)。農村伝道神学校に、神は新しいことを行なう。今日、それが芽生えているのです。
 台湾の嘉義に228記念塔が立っています。その塔にはミカ書四章のこの言葉が刻まれています。客員教師の楊啓壽先生が台湾基督長老教会総幹事であったときに、二二八記念塔奉献式が行なわれ、楊啓壽先生はこのミカ書を引用して式辞を述べました。「主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」
 1947年2月28日、台湾の人々は蜂起しました。中国から来た国民党は人々を弾圧し生活を奪っていきました。しかし人々は生きたいと叫び立ち上がりました。そこに軍は銃を向け、何万人もが殺され、それ以後台湾では誰もが黙ってしまったのです。口を開けば消されてしまう。1990年代になって民主化を求める声が起こり、やっと教会と市民が228蜂起で命を落とした人々を覚え、228記念塔を建てたのです。台湾の将来はもはや、剣や槍をもって「目には目を、歯に歯を」ではなく、鍬や鎌をもって作りあげたいという強い祈願です。それは自然と共に生きる台湾先住民族に芽生えている。台湾に住むすべての人々の命は、先住民族が自然のなかで土地を耕し種を蒔き命を育てその果実を味わって生きることを分かち合うことの中にあります。そこに平和が来る。生きる喜びが生まれる。それはすでに芽を出していることに気づいていました。228記念塔の前で人々は非キリスト者もキリスト者もミカの言葉に将来を託したのです。
 一人の人の命を大切にするとは、土地を耕し、命を育て、その収穫に与ることの中で養われるだと思います。
 バビロン捕囚時代の人々は、木を切ってそれを燃料として農具を剣や槍に変えて戦争をしました。また、森を壊して要害をつくって戦争をしました。その結果、道は舗装され、戦車や武器の移動は容易になり強固な要害はでき剣をもって平和をつくりだそうとし、その結果自然はなくなってしまいました。柔らかくやさしい自然ではなく、強い人口的な建物で強者は身を固めました。戦いは自然破壊です。バビロン捕囚で行なわれたことは、農具を剣に変え、自然の恵みをすべて戦争へのエネルギーに変えてしまったことです。
 剣を農具に変え、畑を作り耕し命を育む。そこに平和の根源があります。
 1958年、日野から野津田に移転した頃の神学校の写真を見ると、周りに森はなく低い木が点在しています。雑木林は戦争のために切り倒され木炭となっていきました。それから50年、地域の人々は命に満ちる豊かな自然を育んできました。わたしたちはここに住まわせていただき、命を大切にする伝道者を送り出してきたといえます。野津田も住宅化が進んできましたが、森を守りそこに命を育んできました。校舎の新築工事中、周りの人々は地味で森と一体になるような建物だと言って喜んでくれました。
 神学校がストーン記念館を新築しここでこの地の人々と共に生き、そして教育の業に励むことは、剣や槍から鍬や鎌を作り、命を育てその実に与っていくことです。「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り、脅かすものは何もないと万軍の主の口が語られた。」これを学び続けることです。(10月1日、ストーン記念館 落成感謝礼拝説教)


《ストーン記念館落成感謝礼拝報告》

横野 朝彦

 ストーン記念館落成感謝礼拝が、10月1日(月)午後一時から神学校礼拝堂でおこなわれた。出席は190名。教会、関係団体、鶴川シオン幼稚園、旧保育科卒業生、神学校卒業生、在学生等、多くのかたがたが遠くから近くから集まってくださった。
 礼拝説教は君島洋三郎校長が、「この世と共に生きる神学校」と題し、ストーン宣教師が農村伝道にかけた志と、剣を鋤とし、槍を鎌とする精神を、ミカ書をとおして語った。
 校舎新築委員会の禿準一委員長による建築経過報告があり、次に國安敬二理事長から、建築にあたった松ノ井建築設計事務所所長の松ノ井敬一氏と三元建設株式会社代表取締役の西野泰氏に感謝状が贈呈された。國安理事長は挨拶のなかで、自由と対話の重要性を訴え、神学校の姿勢を明確に述べた。
 次の各氏から祝辞をいただいた。日本基督教団総会議長山北宣久氏、カナダ合同教会代表・宣教師ロバート・ウィットマー氏、台湾基督長老教会代表・副総幹事シン・オラム氏、農村伝道神学校後援会会長名嘉隆一氏、鶴川シオン幼稚園保護者会会長中川律子氏、農村伝道神学校同窓会会長岩高澄氏。また台湾基督長老教会から北海教区に派遣されている宣教師ディヴァン・スクルマン氏の紹介があった。
 どのかたも、興味深い語り口と内容で、それぞれの関わっておられる現場から農伝に期待するところを語ってくださった。神学校同窓会からは、祝辞にあわせ、礼拝堂講壇用聖書の贈呈を受けた。同窓会がこのために募金をしたものである。熱い思いに感謝したい。
 ここで報告を離れて私見を述べさせていただく。総会議長である山北氏は先の教団総会において教団の過去四十年の歩みを否定する発言をされた。このことは、農伝の歩みとその基本姿勢が否定されたに等しいと思わされ、衝撃を受けた。その波紋が農伝内にも大波となって広がっていることを率直に述べなければならないだろう。
 総会議長に祝辞を述べてもらったのは、教団認可神学校としての農伝の新校舎落成を教団の全教会に祝っていただきたいとの想いである。議長もまた、そのことを踏まえて語られたと理解している。農伝としては、農伝教育の基本姿勢を堅持し、祝詞と期待に応えていきたいと願っている。
 式の終了後、新校舎前で記念写真を撮った。フォトジャーナリストの桃井和馬氏が撮影を担当し、脚立の上から大勢の人数を笑わせ、喜びに満ちた顔を写してくださった。その後、新校舎や校地の見学。茶菓をいただきながら、語らいの時が持たれた。
 当日、礼拝司式を担当した筆者は、朝早くに神学校へ行き、準備作業に加わった。そのときに感じたのは、農伝のためになんと多くの人たちが喜んで労しているかということであった。落成はもちろん感謝であるが、人々が喜んで力を合わせる姿に大きな感謝を覚えた。なかでも、鶴川シオン幼稚園の教諭や関係者が補助椅子そのほかの機材を幼稚園から運んでくださり、受付など多大の協力をいただいた。
 後期授業が始まり、筆者もひとこまの授業を持っているので、毎週新校舎に出かけている。ロビーや教室で学生、教師、職員たちが従来にもまして親しげに隔てなく語り合っているのを見るのはこのうえもない喜びである。

《礼拝堂の改装について》

 礼拝堂二階には図書館があり、図書の重さと建物の構造について心配されていた。新校舎建築にあたり、調査をおこない、大きな改装をおこなった。入口廊下の右側に図書館に通じる階段を設けたこと、内側入口の左右に小部屋を設けたこと、礼拝堂正面の壇を取り払い、会衆席とフラットにしたことである。図書館は従来よりも使い易くなったと思われる。またこれに合わせて、外壁の塗装をおこなったので、外見上も見違えるほどとなった。以上の結果、二階重量に耐える構造になっただけでなく、礼拝堂が従来よりも広く用いることが可能となった。

〜〜〜 お 知 ら せ 〜〜〜

■ 集中講義 午前10時〜午後3時

・「中東のキリスト教 」
 12月11日(火)〜12日(水)
 【講師】 村山盛忠氏 (教団兵庫教会牧師)

・「生と死の現場からみた心のケア」
 12月13日(木)〜14日(金)
 【講師】 大西秀樹氏 (埼玉医科大学国際医療センター・精神腫瘍科教授)

○農村伝道シンポジュウム
 【日時】 1月30日(水)午前10時〜午後3時
 【主題】 農業・農民・教会(仮題)
 【講師】 田中洋一氏(教団八郎潟教会員、キリスト教農村伝道推進協議会会長)

 ※問い合わせは神学校事務室まで。

■ 「農伝デー 野津田の秋―新生」

 前日の夜雨が降り開催が危ぶまれたが、農伝デー当日は快晴であった。秋晴れの十月二十日(土)、野津田の山里に多くの方々が集まって新築のストーン記念館を囲んで楽しい一日を過ごした。正に農伝の「新生」を実感するときであった。
 農伝デーは一度学校に来ていただき、どういうところで、生活し勉強しているのかを様々な支援者に知っていただき、応援してくださる方々と顔を合わせる時をもちたいと考えで始まった。また、農伝を受験しようとする方々をも招き実際に農伝の素顔をみてもらおうとの願いである。この地に留まって伝道者養成をしていく決意をして最初に考えたのがこの農伝デーであった。年々充実してきていると思う。
 鶴川学院が神学校と同時に経営している鶴川シオン幼稚園は神学校を教育の場の一つにしているが、幼稚園の「シオンデー」が同時開催であった。園児・その家族、卒園児・その家族が集まり秋を満喫し、静かな山里に人があふれた。神学校は実りの秋であり、銀杏、焼き芋、焼き栗、チヂミ、定番の焼きそば、フランクフルト、お汁粉、コーヒーが並び、道北センターの蜂蜜、べテルの家の海産物、八甲田伝道所のりんごやジャム、長田活動センターのキムチ、各地の働きや実りが展示即売された。
 神学校の後援会は、神学校で咲く花を使った押し花ハガキ、竹とどんぐりで作った剣玉、金斗鉉さんが描いた野津田の四季の絵ハガキ、そして、金さんが「信徒の友」の表紙絵とした「聖書物語」の絵ハガキが並び、後援会活動はさらに広がりを見た(注文する方は「後援会だより」を見てください)。また食器を売って神学校への献金にしようとする牧師夫婦、クッキーを焼き聖書カバーを作って販売してやはり献金しようとする学生の家族、などなど多彩であった。
 この行事の推進力になっているのが実は神学校を卒業した近隣の若い牧師たちであった。こういう力が神学校をつくっていくのである。
 多くの方々の力によって楽しい秋の一日を過ごした。

■ 新堀邦司氏の講演

「ストーン宣教師と農村伝道・伝道者養成」

 「農伝デー」のプログラムの一環として、新堀邦司氏(日野台教会員)による「ストーン宣教師と農村伝道・伝道者養成」と題する講演会がもたれた。ストーン師の伝記「海のレクイエム」を1989年に教団出版局から出版している新堀氏は、ストーン師を語る最もふさわしい講演者であつた。農村伝道神学校は、日野の地で開校し、そこで11期生までが過ごすが、新堀氏が属する日野台教会も元は農村伝道神学校の礼拝堂から始まった。ストーン伝を書く動機もその教会の歴史を書くためであったという。
 初代校長アルフレッド・ストーンの先祖は、アイルランドの小作農民で、カトリックからメソジストに改宗、後にカナダに移住する。代々農民でかつ熱心なメソジスト教会の会員の家系で、その四代目のストーンは牧師となり、日本への宣教師となって1926年に来日し、東京での準備期間を経て長野に赴任する。先輩の「長野のノルマン」との出会いは勿論、この神学校の創立者の一人、若い日の木俣敏先生との出合いや、戦前の長野県下の農村伝道の働きについてはもうなかなか聞くことのできない内容であった。
 今回、私にとっては、戦後いち早くカナダから戻り、戦後の混乱が残る中で、農村教化研究所、今の私たちの農村伝道神学校の開設とその初期の学校の様子と、1954年洞爺丸の海難事故で救命道具を他人に譲り、亡くなったエピソードは何度聞いても胸が熱くなる。その事故の補償金は、旧ストーン記念館の建築にあてられた。そして今新ストーン記念館ができたばかりで一層である。
 カナダ合同教会から遣わされた二人の若い宣教師達と農村伝道を展開すべく北海道を新しい任地とし緒についたばかりの死であった。その一人は同船して助かったドナルド・オース師で、後にわが神学校で教師となり、もう一人は道北の名寄教会を助け、道北クリスチャンセンターを創立したフロイド・ハウレット師だが、もう二人とも世にはいない。しかし、センターはロバート・ウイツトマー師が館長となり、学校とも深い関係をもち学生の実習などを引き受けてくださっている。 (禿 準一)

■ 小川陽彦牧師追悼

 小川陽彦牧師は2007年8月13日、心不全により逝去(51歳)されました。一九九一年故小林平和先生の導きで農村伝道神学校に入学、九五年卒業、幕張教会担任教師一年、美祢教会四年、山鹿教会を経て隈府教会に七年、計12年間の伝道生活でした。氏は優れた説教者であったとの評が高い。私の住む大津町とは近いので必ず協力関係が出来ると信じていた矢先の急逝で真に残念な想いです。「最後の任地となった隈府教会の七年間は持病や自他との矛盾に悩む戦いの日々でしたが、教会員の深い愛情に支えられて充実した時を過ごさせていただいた。諸関係者、國安先生のご奉仕を感謝します」と母上様は私に語られました。 (小平善行)

■ 理事会評議員会報告

前号での報告以降、二回の常務理事会を開催した。
 新ストーン記念館は八月二五日に町田市の検査を無事通過し、九月五日に引渡しがおこなわれた。校舎新築委員会がこのための実務を担当したほか、家具備品の購入などをおこない、後期授業開始に備えた。また、落成式実行委員会が組織され、多くの人々と共に喜びを分かつための準備を綿密におこなった。
 ストーン記念館建築募金は、落成式当日の時点で募金目標額を超えることができた。目標額を超えることによって、資金の取り崩しを減らすことができる。しかしながら、後援会献金や維持献金が減少していることもあり、建築献金は当初の予定を早め、来年3月をもって終了することにした。この件は11月開催予定の理事会・評議員会に諮られる。
 新たに組織された幼稚園経営委員会が今年度に入り三回の委員会を開催している。教育環境、現教育体制の問題、運営面、設備面、人事面、理事会に求めるもの、以上の協議がおこなわれた。神学校の校地にある保育棟が老朽化しているため、これを建て直す必要がある。これをどのような建物にするか、幼稚園全体構想をも検討しつつ、来年3月の理事会・評議員会に提案できるよう経営委員会が答申案を作成することになった。
 保育については預かり保育の実施検討、キリスト教教育のできる教諭の確保と育成などが課題である。人材確保のため採用先の幅を広げる必要があり、この件はすでに実行している。  (理事会書記 横野朝彦)

■ 農村教会キリスト教全国協議会が十一回を迎えた

角田敏太郎

 第十一回農村教会キリスト教全国協議会が開催された。これはその昔、中央農村教化研究所(農村伝道神学校)と交互に開催されていたものであるが、教団の諸々の事情もあって長らく休止されていた。これが有志の努力により復活され早十一回を数えるに至った。
 今回の参加者は十三教会三十四名で、昨年に引き続きストーン記念館建築、農村伝道神学校後援会にそれぞれ五万円の献金が寄せられた。
 2008年度は新装になった農村伝道神学校において学校・事務室・保育科OG各位のお力添えをいただき開催の予定である。 どうかご祷援願います。

    (大塚平安教会会員)

2008年度入学案内

■教育目標

 農村という場と農村への宣教を見据えて神学教育をする。

 貧困・差別・人権という諸課題を神学の課題とする。

 アジアの人々・教会との対話のなかで神学教育をする。

■受験資格

@伝道者となる召命を受け、所属教会が推薦すること。

A日本基督教団に限らずプロテスタント教会に所属し、原則として受洗後1年以上(洗礼式を行わない教派に関しては、それに準ずるもの)の教会生活をしていること。

■修業年限 4年

■入学試験 

 第2回 2008年2月27日(水)

■入学試験科目

(1)小論文(2)新約聖書・旧約聖書

(3)面接

入学願書・過去の試験問題等は神学校 事務室まで請求下さい。