後援会だより74

先生の志を正しく受け継いでお手伝いができるように

滝澤 

 わたしは大学を卒業できず1年を残して除籍になり、以後、今で言うニートの先駆けのような1年間を過ごしていた。最初はお気楽だったのだが、次第に日々が苦しくなり、みぞおちのあたりが意味もなく毎日痛みだし、体調も精神も追いつめられていたのだろう。そんな姿を見かねて、両親が通っている教会の牧師が、わたしを岩手県・盛岡にあったキリスト教センター善隣館の善隣館書店店員に推薦してくださり、約2年間キリスト教書店の仕事を担わせていただいた。その仕事を通して、どうやったら我が身に注がれた有形無形の恩を返すことができるかを考えていた。そして、少年の頃から折に触れて思っていた伝道者になるという道を、3度目の決意で踏み出したのだった。

 とはいえ、試験のために10分な準備をすることなど、元々わたしの性格からは考えられないうえに、実際に時間もなくて、いったいどうしたらよいのかわからないままだったが、先の牧師が、「それなら自分の母校を1度見学してみないか。今度理事会があるのでその時に一緒に行こう」と誘ってくださった。実は、今だから話せるのだが、わたしはなんと、この待ち合わせの新幹線に乗り遅れてしまったのだった。あ〜ぁ。ところが、なんと件の牧師は次の駅でわたしが乗っている次発の新幹線に乗り込んできたのである。いきなり前触れもなく座っている席の後ろから肩をたたかれたときは、飛び上がるほど驚いた。大宮で新幹線を降り、リレー特急で上野へ。山手線で新宿に、個人的に懐かしい小田急で鶴川へ、バスに乗り継いで、なんと最後はとんでもない坂道。牧師は途中で何度か息を入れながら学校まで導いてくださった。これがわたしと農村伝道神学校との初めての邂逅であった。

 盛岡に戻って、学校からいただいた過去入試問題などを参考に多少まじめに学び、翌春受験のため再び学校を訪ねた。野津田行きのバスには明らかに不審な人間が3人だけ乗車していた。その3人が受験生待合室で顔を合わすことになるのは当然の成り行きではあった。面接の時T教師には「君は少しおっちょこちょいのようだね」と言われたのを覚えている。図星だった。校長だった國安先生(現理事長)から農伝志望の動機を聞かれて、つい真顔で「あまり勉強できなかったからです」などと答えて顰蹙を買ったりもした。「それでは困るよ、入学したらちゃんと勉強してもらわなくちゃ」。ん? じゃ、合格???

 そんなこんなで入学をゆるされ、あの場所での5年間の歩みが始まったのであった(ちなみにバスで同乗した不審者2名も無事合格。ところが彼らは2年編入だったので、4年で卒業してしまいました)。

 わたしにとって、焦眉の課題は学業について行けるか(何せ「除籍」の栄誉をかつて受けているのだから…)もさることながら、生活してゆけるのかどうかが1番の問題であった。ところが、ニートのわたしを疑いもなく働かせてくださった善隣館の職員の有志や、盛岡時代に通っていた下ノ橋教会、そしてわたしの両親の所属する教会が、5年間60ヶ月にわたりわたしの生活を支えてくださった。しかも当時むちゃくちゃに安価な授業料を惜しげもなく「奨学金」で相殺してくれる学校の温情にも救われた。さらに、思えば感慨深いのだが、ニート時代にキリスト教書店で働いたという伝によって、在学中日キ版や教団出版局、教団事務局、キリスト教出版文化協会などでさまざまなアルバイトの口を与えてくださったのだった。

 思い返せば、すべてがうまくつながっていった。わたしをそういう局面に引き込んでくださったのが件の牧師。農伝のOBで、今思えばあまりにも早世された故村上英司牧師だった。在学中、学生会の責任を負っていたとき、修養会の講師においでくださった。「伝道・牧会の失敗談を語ってくださる牧師に」という学生の無茶な要求に笑って答えてくださった恩師は、会期の最後に「農村伝道は、本当に楽しいよ」と満面の笑顔でお話になった。その翌年肝臓ガンで召されてしまった。あの笑顔と言葉がわたしにとっての遺言となった。

 葬儀後、村上牧師の蔵書の1部を頂き、今も大事に収蔵している。また、キヨ夫人は牧師の使っていたガウンをわたしに託してくださった。神学校を卒業してまもなく20年になろうとしているが、あちこちほつれが目立つそのガウンは今もわたしの正装である。

 先生の志を正しく受け継いだとは言えないが、今先生が心血注いだ神学校にさまざまな形でお手伝いができるようになったことを報告できるのが嬉しい。小さな神学校は、こんな数多の物語が満ちている。農伝を思い、農伝を支えてくださっている1人ひとりが、それぞれの物語を大切に心の中に持っているに違いない。
  (鶴川学院理事・後援会役員・川崎教会牧師)

今回新任役員の滝澤委員巻頭、大澤委員下記に寄稿頂きました。

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 監事就任ごあいさつ

後援会監事  大澤 錦一

 325日の後援会役員会で、監事に選任されました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 私は041月から本年3月まで4年に亘って農村伝道神学校の事務室の仕事を担当いたしましたが、神学校のこの大きな転換の時期に在職できましたことを心より感謝しております。

 0411月に「神学校が野津田の地に留まって神学教育をおこなう」ことが決定し、これに応えての後援会へのご献金と緊急募金・維持献金へのご協力、そして大幅な経費削減によって神学校の収支は改善に向かい、05年度は11年振りの黒字計上が実現しました。

 そして、065月の理事会・評議員会で校舎新築が決議され、1年半を経た079月、新ストーン記念館は完成しました。これは、全国の多くの教会・教会員・卒業生(旧保育科卒業生を含む)・新たにご紹介頂いた方々からのご献金があり、また、鶴川学院役員・校舎新築委員・神学校の教職員と学生・幼稚園の職員と保護者ほか実に多くの方のボランティア奉仕があって始めて実現したもので、すべては主のお導きによるものと考えざるを得ません。

 今後もストーン記念館の保守、他の施設の修理・改善・新設などさまざまな課題がスケジュールに上ってまいりますので引き続き後援会を通じてのご支援を頂きたく、私も評議員として、また後援会監事の立場でお役に立つことができればと願っておりますので、何卒よろしくお願い申上げます。
     (鶴川学院評議員・下谷教会員)